なぜ一人でバーに通うのか。ずっと通っていたバーの閉店によせて

終電を無くした後の新宿からタクシーを拾って、その当時よく通っていたバー「A」に行くと、臨時休業というやつで行き場を失ってしまった。そこは世田谷区の住宅地のド真ん中で、周りにはコンビニしか無かった。

仕方がないので近くの急行が停まる駅まで歩いて、そこから再びタクシーを拾っても良かったんだけど、臨時休業によって行き場を無くした「もう少し一人で飲みたい」という気持ちを満たすためにフラフラ歩いた。

そこで偶然、何も知らずに入ったのが、そのバー「B」だった。

 

雑居ビルの奥の8〜10畳ぐらいの狭いスペースに、L 字型のカウンターが8席ほど。いわゆるオーセンティックな感じではないけれど、カジュアルと言うほど入りやすい雰囲気でもない外装・内装の店内は薄暗く、長髪を後ろにまとめた店主の後ろには沢山の焼酎の瓶が並んでいる。

そこは焼酎バーだった。メニューには焼酎の銘柄がズラリと並び、それ以外のアルコールはビールとレモンサワーのみ。私の好きなウイスキーは無い。日本酒も無い。

何を飲んだら良いか店主に聞いてみようと思ったけど、猫が好きな私はメニューの端っこに書いてある「山ねこ」という銘柄が気になって頼んだのを覚えている。

以来、「山ねこ」「山せみ」はマイ・フェイバリット・ショーチューとなった。

 

ここまでが、たぶん5年ぐらい前の話だ。

それから「B」は、凡そ隔週ぐらいのペースで私が通うバーになった。

当時の私は特に焼酎が好きというわけではなかった。時と場合によっては飲むという感じで、強いて焼酎が飲みたい気持ちになることがなかった。当時も、今でも、私はウイスキー、特にスコッチやアイリッシュが好きだ。

更に「B」の店主は、どちらかというと寡黙な職人気質で、そこまで客と話し込んだりするタイプの人でもない。だからべつに話が面白いとか、常連の人と盛り上がったりするようなことも少なかった。

それでも「B」は、今までの人生で私が最も「行きたい」と思って行くバーだった。

 

そもそも極論すると、私は一人で行くバーに酒も話も求めていない。

そこまで高価な酒を飲む習慣も無いので、飲みたい酒があれば買ってきて飲めば良いのだし、話がしたければ友達に電話をかけて今すぐ来いと言えば済む。

私は一人で行くバーと、それ以外のバーを明確に区別している。一人で行くバーには酒と話よりも違うものを求めている。 それ以外のバーに何を求めているかは、考えたことがない。

「B」は私が一人で行くバーの中でも最高峰で、ほとんど誰も誘ったことがない、ごく稀に彼女なのか彼女のような存在なのか分からない女性と行ったことがある。そんな存在のバーだった。

 

一人で行くバーに何を求めているかというのは、とても一言では説明できない。

そこには「すごく落ち着く他人の部屋」という感覚がある。

個人経営の小さなバーは、基本的に他人の部屋みたいなもんだ。いつも店主の部屋に、お邪魔させて貰うような感覚で通っている。この「他人の部屋なのに何故か落ち着く」というのが面白い。自分の部屋で落ち着くのは当たり前なので。

そこで酒も話も求めていないのであれば何をするんですかという話なんだけど、さて、いったい何をしているんでしょうね。

まあ酒は飲んでいる。酒は好きだ。焼酎にも少しだけ詳しくなった。店主は私が特に会話を求めていないことをよく分かっているので、たまにポツポツ話しかけてくるぐらいだ。

 

それ以外の時間は凡そ、物凄い勢いで「ぼんやり」している。考え事をしている時もあれば、本を読んでいる時も多い。でも、考え事や本を読みに行っているという自覚は無い。

だから、「ぼんやりしに行ってます」というのが、一人でバーに通う理由になる。

落ち着く他人の部屋にお邪魔して物凄い勢いでぼんやりしている。

 

これを個人的に例えると、瞑想に近いイメージを持っている。

私には休日の朝、寝起きと共に15〜30分ほど瞑想をする習慣がある。いつからそれを始めたのか覚えていないし、必ずやるかというと実はそうでもない。

ただし何らかの不調、それは体調の崩れだったり仕事の成果だったり色々と種類があるんだけど、それらを感じ取った時には率先して瞑想をする。もうなんか飛び起きて瞑想をしている。

瞑想をすると頭がスッキリする。それ以上でも、それ以下でもない。

一人でバーに通うという行為も、それに近い何らかの意味があるんだと思っている。

 

そんな私にとって居心地の良い他人の部屋でありレンタル瞑想スペースでもあった「B」が、今月で閉店してしまうという。

実は「B」は私が通っている間に一度、移転をした。当初あった人通りの少ない商店街の一角から、人通りが多い大きな商店街の路地裏に店を移したのだ。

聞いた話では、そこでの商売で想像以上に店主にストレスが溜まってしまったということである。人通りが増え、色んな客が訪れるようになった結果、ちょっと無理だから休ませてくれという話らしい。

さもありなんという感じだ。全く他人のことは言えないが、店主も付き合う人を選びそうなタイプだもんな。

 

「次また店を出すとしたら、どの辺になるの?」と、常連の一人が店主に聞いていた。

店主は苦笑いしながら、「物件ありきですから、どこというのは分かりませんね」と答えていた。

それは家賃や人通りという意味合いも勿論あるだろうけど、きっと自分の店には私のように「空間」を求めて通う客が多いということを分かっているからだろう。

猫ちゃん達は、いつも自分が落ち着ける場所を探してウロウロしている。