マネジメントとOKRで「目線を合わせる努力」ができたら、の話

年末年始のバタバタの中で何度か感じていた「お気持ち」を、感情の赴くままに書きなぐって供養したいと思う。なんまいだ。

 

マネジメントにおいて、昔から多くの人がモヤモヤしていることがある。

マネージャーだけじゃない、チームのメンバーも含めて、組織で働く限り誰にでも関わりがあるモヤモヤだ。

 

それは、マネージャーとチームのメンバーの目線が合わない、ということ。

同じゴールを見てくれない。評価したい、評価されたいと思っているポイントが異なる。経営者目線を持ってくれ。経営者目線だと?アホか。私のことを理解してくれない。もう、なんか話が合わない。気に入らない。キモい。etc...

 

こんなことが、ずっとある。

そして、それは当たり前だ。マネージャーとチームのメンバーの目線が合わないのは当たり前だと思う。

(「目線を合わせる」の定義が非常に危ういけど、今回は「お気持ち」の話なので、あえてそのままにしておく。)

 

だって私はマネージャーで、君はチームのメンバーだから。

業務内容も、担務範囲も、待遇も、アクセス可能な社内の情報も、従うべき上長も、何もかもが違うんだ。

それは同じ海を泳いでいるはずのクジラとヒラメぐらい違う。哺乳類と魚類ぐらい違う。

だから、マネージャーとチームのメンバーの目線が合わないのは当たり前だ。

 

それでもマネージャーが、チームのメンバーが、私の目線に立ってくれと思ってしまう、ロボットのように割り切れないのは、マネージャーもチームのメンバーも人間だからだろう。

 

私達は人間である以上、いくら企業に所属していたところで、好きな奴は好きだし嫌いな奴は嫌いである。

でも私達は同じ組織に所属してる限りはチームだから、目標を達成するために協力し合う必要がある。それができない奴は組織を去って、一人で食っていけばいい。

 

協力とは、他人と目線を合わせることではない。

協力とは、お互いに相手と目線を合わせようとする努力だ。

 

マネージャーとチームメンバーの目線が合わないのは当たり前だ。

でも、合わせようと努力することならできる。もっと言うと、合わせようとするフリならできるんだ。

その努力が相手に伝わっているか伝わっていないか、という状況がマネジメントに与える影響力は、すごく大きい。

 

私達は対話によって、それを確認する。

この人は自分と目線を合わせてくれようと努力している。それが確認できたら、少し安心する。少し安心して、自分も目線を合わせるように努力してみようかなと思う。

いわゆる心理的安全性というような話に近いかもしれない。

 

例えば挨拶をする。他愛のない話をする。興味や嗜好を知ろうとする。仕事の内容の良いところを見つけて褒め、悪いところを見つけて注意する。自分に非があると感じたら謝罪する。笑わそうとする。愚痴を聞いてやる。

マネージャーが何を望んでいるか理解しようとしてみる。(もちろん今期の目標達成だ。)チームのメンバーが何を望んでいるか理解しようとしてみる。(もちろん給与アップだ。)(という決めつけが良くない。)

少し理解できた気がしたら、その状況を互いにフィードバックしてやる。こんなことを考えているんですか、と。

理解しようとする意思を見せるだけで十分だ。だって本当に理解してしまったら、今日から君がマネージャーだから、の話だから。

 

私達は人間と人間である以上、全ての状況においてケースバイケースなので、対話によって相手を知り、相手に応じた努力を重ねていく必要がある。

他愛のない話が好きではない人間に無駄に話しかけるのはストレスになってしまうし、逆に他愛のない話がないとストレスを持つ人間もいる。

それは複雑な工程だから、一人のマネージャーがマネジメントできるチームのメンバーの数は限られている。(6〜8人あたりが限界とか。)

 

何度も繰り返すけど、マネージャーとチームのメンバーの目線が合うわけがないんだ。

目線が合うわけがないんだけど、目線を合わせて欲しいと思ってしまうので、せめて目線を合わせる努力をし、その意思を見せることで、お互いのストレスを和らげよう、って話なんだけどさ。(これってやっぱり気持ち悪いかな。)

 

そして、そのストレスが和らぐことによる生産性の向上は、馬鹿にできないはずだ。

対人関係においてストレスが少ない、という状況が、コミュニケーションの連続である仕事を、どれだけスムーズにすることか。

 

もっと言うと、目線が合うと期待するから絶望が大きく、衝突が生まれるんじゃないか。

目線は合わないと割り切っていれば絶望は少なく、あとは自分にできる努力をするしかない。

それこそビジネスライクで、企業における対人関係なんじゃないの、と思ったりする。

 

少し話を変えて。

この数年、私達は、OKR という他人が考案した目標管理のフレームワークを導入し、試行錯誤を重ねてきた。

その中で分かったのは、OKR はマネージャーとチームのメンバーが目線を合わせようと努力するためのコミュニケーションのきっかけとなるツールとして、効果があるということだ。

 

OKR は目標を達成するためのツールではないし、達成の度合いを測るためのツールでもないと言われることが多い。

でもOKR は、「私はこういった目標を達成したいのだ。」「なるほど、君はそういった目標が達成したいのか。(何故だろう?)」「では、私はこういった目標を達成したいと思う。」「そうか、それだと、あーなって、こうなって…」というコミュニケーションを促進するためのツールとして用いることができる。

 

何故なら、OKR はツリーを形成するから。チームとチームの間を、人間と人間の間をツリーで繋ぎ、「お互いに関係性があるもの」という体を成すからだ。

だからマネージャーはチームのメンバーのObjective を無視できないし、チームのメンバーはマネージャーのObjective を無視できない。

貴様、なんというObjective を設定してくれたんだ、いいかげんにしろ、などというコミュニケーションが生まれやすくなっている。

 

私がマネージャーを務めるチームでは去年、OKR を通して大きく相互理解を深め、また確かに実感できる成果を得ることが出来た。

それは対話を重ねて、お互いの目線を合わせる努力を続けてきたからに他ならないと思っている。

 

だからOKR 自体がどうこうという話は、もういいと思った。

OKR はツールなので、私達はツールを上手く利用して、対話のきっかけを作り続けることに集中したい。

 

ああ、余裕を持って他人と目線を合わせることができる人って、この世にいるのかな。