年齢を重ねたことと何かが起こるまでのカウントダウンについて
「この広告は、90日以上更新していないブログに表示しています。」が表示されてしまったので、何か書こうと思い、近況とかをつらつらと書く。
つい先日、誕生日だった。一つ歳を取った。
珍しく誕生日会を開いてもらい、このご時世なので派手に密ではやれないが、それでも入れ替わりで計10〜15人ぐらいの人々が訪れてくれた。
特に節目の歳というわけでもないはずなのに、なんだか、今年の誕生日は特別な気がした。誕生日の前後で色々な人が連絡をくれ、ああ私も17歳になるんだなと実感することも多かった。どちらかというと私は誕生日の当日まで、その日が誕生日であるということを忘れているような人間だったので。
あ、すみません17歳というのは嘘です。
歳を取ることを死へのカウントダウンと捉える人は多いと思うけど、なんというか歳を取ろうが取らまいが、明日には交通事故で死ぬかもしれないのだし、健康診断の結果を見て顔面蒼白しているかもしれない。
それは本当に突然やってきて、マジかよこのタイミングで?みたいな時にこそ人間は死ぬ。身近な人間を亡くした経験のある人の多くが、そのようなことを感じた経験があるだろう。
例えば祖母が末期ガンであるということが発覚した時、その時は私は自室で皆とワイワイなかよく呑気にインターネットをしていたと思うんだけど、それはもう夜中の2時ぐらいに唐突に電話が鳴って、今にも過呼吸になりそうな母親の声を聞いた。
私はその時、本当にただただ「どうしてこのタイミングで?」と思ったものだ。心臓のあたりにとてつもない重力を感じた。どーんって感じ。
それは祖父が肺ガンで亡くなってから、まだ三ヶ月ぐらいしか経っていないタイミングだったのだ。
死ぬという極端な例を出してしまったけど、カウントダウンというのは死に限った話ではなく、何か良いことやマズいこと全ての大きなイベントに対するカウントダウンである。
コロナウイルスというのは突然やってきた。予測をしていた人はとっても少ないはずで、それは突然やってきて、企業や事業の業績を悪化させ、大変なことになった知人・友人を多く知っている。
でも、コロナウイルスがやってくるまでのカウントダウンというのは、私が生まれた時から確実に始まっていて、私が17歳の時にコロナウイルスが流行して大変なことになるぞ、というのが決まっていたのかどうかは知らないが、結果として「その時」へのカウントダウンが進んだ結果、私が17歳になって、コロナウイルスがやってきたのだ。そして世界で100万人以上の人が亡くなった。
なんか理解し難いかもしれないけど、私はそういう感覚を持っている。
あ、すみません17歳というのは嘘です。
それはカウントアップと言い換えてもよくて、例えば空くじの一等賞・3億円が当たるとして、それが私が40歳の時に当たるとして、そのタイミングへのカウントアップは今も進んでいる。(ダウンなのかアップなのかは、今回の文脈ではネガティブかポジティブか、ということにしておこう。)
何かが起こるまでのカウントダウンまたはカウントアップは今も確実に進行していて、それは止まることがない。
ただ、それが起こるまでの間が長く感じられるような気がするというだけの話だ。
この前、とても聡明でセクシーだけど酒を飲むと殆どのことがダメになる女性が「ずーっとこのまま、一人で何も変化がないまま歳だけ取っていってしまったら、どうしよう。」という魔女の宅急便のキキみたいなことを、いきなりボヤいたのでびっくりした。
それを聞いた私は「何も変化が無いなんてことは99% 無いけどな。」と改めて思った。
誰かが死ぬかもしれないし、宝くじに当たるかもしれないし、そんな極端な例じゃなくとも、例えば親や子供が病気になるとか、コロナウイルスの影響で思ってもみない商材がバカ売れするとか、そういうことはいつか、何度か、生きていると起こるんだよね。
それが明日なのか数年後なのかというだけで、ずーっとこのままなんてことは、無いはずなんだ。ゆっくりと、でも突然に、何かは変わっていくと思う。
その「何かが起こって、その後の生活が変わる時」へのカウントダウンが、常に進んでいるんだな、という実感を以前よりも多く感じているのが近況。
べつに直近で大きな変化が訪れそうな予兆を感じているわけではないし、そういうことに対して私は基本的に鈍感なのですが。
身近な人のために書いておくと、良くも悪くも相変わらずだと思う。ちょっとはマシになったと思いたいけど、マシになったらマシになったで、ますます至らないところが目についてくるわ、という感じ。
落ち込んだりすることは正直あまりないけれど、基本的には元気だし、楽しいです。