アニメ感想:やがて君になる(2018年・秋)ー キスしたから好きなのか、好きだからキスをするのか

 

好きですと告白して、互いの同意のもとに交際が始まり、数回目のデートでキスをし、数回目のデートでセックスをする。

このような古いパブリック・イメージが恋愛には存在する。それを誰が定義したのか、何の根拠があるフローなのかは全く分からないけれど。

 

では実際というか現実というか、多くの人々が経験する恋愛とは、本当に前述のようなものなんでしょうか。(そんなことないですよね。)

 

そもそも「好きです」と告白したこと、何回ぐらいありますか。

「好きです」と告白して、相手も「私も好きでした」と、交際開始の時点で両想いと呼ばれる状態だったことって、何回ぐらいありますか。

 

この記事を書いている私が世間ズレしていると言われれば、それまでだ。

しかしきっと、多くの人々は冒頭のパブリック・イメージと合致しないような恋愛のフローだって経験しているはずだし、むしろそのようなイレギュラーの方が多いはずだと信じている。

実のところ、それはイレギュラーでも何でもなくて、パブリック・イメージはあくまでパブリック・イメージであり、他人が勝手に作り上げたフローの一つに過ぎないというだけの話だ。

 

やがて君になる」は、そういった恋愛の理想と現実の間に存在する何かを、よく捉えていると感じる。

この記事を書いている時点で5話まで放送されており、とても魅力的な作品だと思ったので、見ながら考えていることをまとめておく。

 

目次

 

あらすじとか

非常にシンプルなので特に書くことがないんだけど、いたって普通の男女共学の高校の中で描かれる恋愛モノだ。

 

主人公の小糸侑(こいとゆう)は高校一年生になったばかり。成績優秀・容姿端麗で学内でも目立つ存在の先輩である七海燈子(ななみとうこ)から生徒会に入らないかと誘われ、何となく断りきれずに入ってしまう。

そしたら小糸侑が、いきなり七海燈子からガンガンに口説かれてしまい、あーでもないこーでもないと生産性のない悩みを抱えながらも、徐々に七海燈子に惹かれていく様子が描かれていく…というのが現時点の流れ。

これだけ見ると「何それ本当に面白いの?」と言いたくなる感じですね。

 

ちなみに小糸侑も七海燈子も女子なので、ジャンルとしては百合ということになる。

しかし、この作品においては特に、百合かどうかは割とどうでもいい気がする。作者にとっても、そこまで重要な要素ではないのでは?と、見ていて思ってしまう。

今さら珍しいジャンルでもないのだし、何か分かんないけど気づいたら百合になってたわ、べつに良いじゃんというノリを感じなくもない。

もちろん見ている側としても、特にどっちでも良い。

 

「好き」ってどういうことですか

分からん。この歳になっても「好き」がどういうことかを説明するのは難しい。

この作品では主人公の小糸侑も、ヒロイン(?)の七海燈子も、二人とも誰かを好きになったことがないという設定から始まる。

 

小糸侑は誰かを好きになるという感覚が分からず、それは自分には今のところ縁がないものだと思っている。

しかし興味はある。少女漫画を読み、人を好きになるとはどういうことか、自分もいつか人を好きになるのかということを考えてはモヤモヤしている。

 

好きだから抱きしめる。好きだからキスをする。好きだからセックスをする。

恋愛の経験がない小糸侑には、やはりパブリック・イメージ通りの想像しかできない。

 

七海燈子にとっても、それは同じだったはず。

しかし七海燈子は小糸侑に出会うや否や、電光石火で恋に落ち、肉食系も驚きのスピードで小糸侑に襲いかかる。(キスするだけだが。)

 

唐突に自分に向けられた「好き」に対して戸惑うしかない小糸侑。

しかし、この作品が面白いのは、その「好き」に対して小糸侑が不真面目に応えていこうとするところではないだろうか。

 

美人な先輩がキスさせてくれって言うからラッキー

冷静になって見ると、小糸侑は単に流されている不良である。

よく分かんないけど美人な先輩がキスさせてくれって言うからラッキー、減るもんじゃねえしキスぐらい経験しとこ、という感じに見えなくもない。

 

これは一般的な恋愛における大正義からすると、不真面目な行為だ。

好きでもないのにキスしちゃ駄目、その気もないのにキスさせちゃ駄目というのは、この記事の冒頭に書いたようなパブリック・イメージそのものだと思う。

 

では冒頭の話に戻りますが。

校内で指折りの美人な先輩にキスさせてくれと言われてキスをさせない輩が、いったい何人いるんでしょうかという話なんですね。

どっちがイレギュラーなんだよという話です。

 

書くのも馬鹿馬鹿しいぐらい、そのような状況においてはキスをしてしまう方が多数派であり、キスをさせない方が少数派だ。

そんなもん当たり前である。

 

なので小糸侑はリアルであり、圧倒的に庶民の味方なのだ。しかも何というか、ちょうど良い感じにリアル。

どこにでもいそうなルックスで、特にぶっ飛んだ趣味や嗜好があるわけではなく、実際にグレて学校の窓を割ったりする人間ではない。

 

一般的な家庭に生まれ、一般的に育った上で、ちょっと流されて恋愛をしてしまう。

普通、そんなもんじゃないでしょうか。小糸侑は最大公約数と言ってもいい。

 

小糸侑はアニメのキャラクターとして普通、じゃないんですよね。

本当にその辺にいそうな感じの普通、なんです。

その小糸侑のキャラクターが、この作品の魅力だと思う。

 

キスしたから好きなのか、好きだからキスをするのか

さて序盤から早々にキスを済ませてしまう二人なんだけど、そうなると当然のごとく中盤以降にセックスがあるのかという期待をするのが庶民というものである。

それは原作も読んでいない私なので隅に置いといて、最後に一つ引用をしよう。

 

私が知る限りの、いわゆる偉人の名言の中でも一〜二を争うぐらい好きな言葉だ。

 

「私達は幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ。」

ー ウィリアム・ジェームズ(米・心理学者 / 1842 - 1910)

 

これは要するに心理的な感情というものは身体的な行動により引き起こされるということが言いたいんだと思っている。

こんな記事なので詳しくは書かないけど、色んな研究結果でそれが立証されつつあるという記事を何回か読んだ記憶がある。(すごい適当でごめん。)

 

乱暴に言い換えると、好きだからキスをしたりセックスをするわけではないんですね。

キスしたりセックスをして、好きになっていくわけです。

 

小糸侑は少なくとも意識下では、七海燈子のことが好きではないと思っている。

しかしキスをする。そして、段々と七海燈子のことばかり考えるようになっていく様子が今のところ、この作品では描かれている。

 

やっぱりこの辺が、リアルというか庶民の味方というか、この作品の魅力なんだと思う。そこを丁寧に描いているなあ、と感じる。

 

本当はお互いを意識しているのに色々な障害があったり素直になれなかったりで最終話までキスの一つもしない、という作品が未だに多い昨今です。

なんか普通の恋愛を描いていて、それが予想以上に普通でびっくりした、逆に新鮮だ。

 

というのが、「やがて君になる」のざっくりした感想でした。

 


TVアニメ『やがて君になる』 PV 第1弾