最高のカレーとは何か、レストラン吾妻のチキンカレーを食べたことがあるか

最高のカレーって、どんなカレーだと思う?きっと、食べる人を最高に幸せな気分に導くカレーだと思うんだよな。私はそれを作る。一歩も引く気はねえぜ。

 

先週、レストラン吾妻のチキンカレーを始めて食べた私は、気づいたら上記のようなセリフを他人に言い放っていた。スラムダンクという漫画から言い回しを拝借しつつ、私にとって最高のカレーというものが初めて定義された瞬間だった。

ついにここまで血迷ったか、という感じがする。しかし、それほど、レストラン吾妻でチキンカレーを食べるという行為は私にとって衝撃だったのだ。きっと人生のターニングポイントの一つになるに違いない。そんな確信がある。

これまでの私は、レストラン吾妻のチキンカレーを食べたことがない私だった。これからの私は、レストラン吾妻のチキンカレーを食べたことがある私である。それだけの話なんだけど。

少し、経緯を説明しよう。

カレーという食べ物の魅力に取り憑かれ、色々なカレーを食べ歩き、自分でも色々なカレーを作り始めてから、もうすぐ一年が経とうとしている。カレーについて書かれた本も、色々と読んでいる。そこで時々、このレストラン吾妻という洋食屋の話を目にするようになった。

なんでも浅草の辺りで100年以上の歴史がある洋食屋で、5,000円という高単価のチキンカレーを提供しているらしく、その味は素晴らしいという。ビーフカレーではなくチキンカレーで5,000円ときた。どれほど良い鶏肉を使ったら、その原価になるのか。いや、そもそも原価とかそういう概念を超越しているんだろうか。噂を耳にするにつけ、どんどん興味が湧いてきた。何をするにしても、すぐに最高とか最強とかを考えてしまう私なので、これは行かずにはいられない。

しかし正直に言って、私は少し油断していた。

レストラン吾妻はカレーを専門で出す店ではなく、洋食屋である。ステーキやシチュー・オムライス等も提供している店なので、カレーに一筋というわけでもなさそうだ。洋食屋のカレーというものは大体が欧風カレーに似ていて、スパイスではなく所謂コクを重視した重いカレー。それの特別に美味しいやつ、という感じなんだろう。そんな程度の想像しかできてなかった。その想像の仕方それ自体が間違いであったと、後から思い知ることになる。

当日の浅草は、よく雨が降っていた。雷門通りの商店街は屋根がちゃんとしていない。ところどころで途切れてしまい、傘を開いたり閉じたりしなければならない。おまけに相変わらず観光客が多いので、傘があると余計に歩きにくい。梅雨なので湿度も高く、それなりの不快感を感じながら神谷バーの前で友人を待った。

これで店が開いてなかったらキツいな。雨の向こうに霞む吾妻橋を眺めながら、そう思った。今回のように個人経営っぽくて開店時間も限られているような店は、予約もできず苦労してたどり着いても閉まっているというケースが多いのである。

吾妻橋を渡り、真っ直ぐ歩くと本所吾妻橋駅という地下鉄の駅が見えてくる。ほぼ住宅街で、こんなところに駅があったのかというような駅だ。その目と鼻の先の通り沿いにレストラン吾妻はあった。

注意しないと見過ごしてしまいそうな玄関口は細長く奥に広く、薄暗い映画館の通路を歩くようにしてキッチン前のカウンター席まで辿り着く。そこに座ると目の前に明るく照らされた立派なキッチンが広がっていて、シェフが料理していく様子を常に眺めることができる。それは特等席だった。歴史ある劇場のステージ前の最前列に用意された上等な席である。レストラン吾妻のカウンター席は、そう形容したくなるぐらい心が躍る。

ステージの上で、シェフはただ料理をしているだけではない。我々のように初めて訪れた、客層として最若年層であろう男女にも、料理の合間合間によく声をかけてくれる。素材の説明をしてくれたり、カレーが好きだと言うと色々と語ってくれたり、水野仁輔さんの話をしたりしてくれた。シェフの奥さんだろうか、配膳や飲み物を出してくれる女性の方も、常に丁寧で気を配ってくれているのがよく分かる。

湯悦に浸ってもらう、ということを磨き続けているのだなと感じた。

目で見て愉しませ、匂いで愉しませ、味で愉しませ、音と会話で愉しませてくるのだ。特別な席・特別な接客・特別な酒・特別な料理に、五感の殆どを支配されてしまう。人間は一人残らず特別では無いのだし、また自らが特別では無いということをよく知っている生き物だ。なので、特別扱いされることが嬉しいんだよね。それをよく知っているんだろうな、と感じた。

肝心のチキンカレーについて、最初からその味を細かく書くつもりがない。こんなタイトルをつけておいて申し訳ない。でも食べてみてください。とにかく食べてみて。それは少なくとも、私が今まで食べたことがない味と食感のカレーだった。インドカレーでもタイカレーでも欧風カレーでも和風カレーでも無い。なんと説明したら良いのか、今の私には全く分からないけど抜群に美味しい。作っているところもある程度は見ていたつもりだった。でも、やっぱりそれは私が今まで見たことがない作り方をしていると感じた。

どうして味について書けないかと言うと、私の無知もさることながら、そもそも味が本質ではないからだ。冷静に考えると当たり前なんだけど、カレーの味というものはカレーを提供される側の満足度を構成する要素の一つに過ぎないのだ。最近あまりにも夢中になり過ぎていて、そんなことにも気が付かなかった。

だから最高のカレーを目指すなら、味だけでは、とてもレストラン吾妻には敵わないだろう。そして私が目指したいのはこれだったんだ。五感の全てを奪うような幸福で骨抜きにすること。そのための強力なツールの一つがカレーである。

夢見心地のままレストラン吾妻を出てフラフラと歩いていると、すぐ傍にある東京スカイツリーの上半分が雲の中に消えている、というか雲に突き刺さっていた。初めて目の前で見た、その光景は映画のCG みたいに不思議で、この世のものとは思えなかった。

「私達、幸せ過ぎて天国に来ちゃったのかな?」

隣を歩く友人が笑顔で言った。

 

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